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以下は、『超左翼マガジンロスジェネ』創刊号に掲載された、大澤信亮・本誌編集委員の小説「左翼のどこが間違っているのか?」のweb版です。

左翼のどこが間違っているのか? 大澤信亮

 目が覚めると母さんの気配がなかった。心臓がはっと冷たくなって、思わずぼくは家中に響くほどの大声で、「お母さん!」と叫んだ。でも返事はなかった。慌ててベッドから飛び起き、一階への階段を駆け下りた。玄関に母さんの靴がない。履き古したベージュのパンプスは父さんが生きていた頃に買ったもので、最近の母さんは靴や服どころか自分のためには何一つ買い物なんてしない。五年以上も履き続けられたその靴のことを思うと、ぼくはいつも気が狂いそうになる。その靴が消えている。心臓の鼓動を抑えて台所に向かうと、蝿帳のなかに海苔を巻いたおにぎりが三つ、インスタントの味噌汁とお椀、それから千円札が一枚と短い書置きがあった。書置きには「夕飯は食べておいてね」と書かれていた。それでやっと今日が月に一度の学習会の日だったことを思い出した。

 本音を言うとぼくは母さんに学習会なんて行ってほしくない。ぼくは自分が病気だとは思ってない。ぼくより悲惨な境遇の人はいくらでもいるはずだし、何より、主催の木下という市民運動系のおばさん──ぼくは母さんに泣きつかれて一度だけ会ったことがある──の偽善者っぷりがたまらないんだ。旦那は大学の教授だか助教授だか准教授だか知らないけど、とにかく妙に金回りがいいのが仇になったのか、十七になる高校生のガキがひきこもりになったらしくて、「学校制度の問題を考える会」みたいなのを作って同じような環境にいる親たちに呼びかけたところ、まんまと母さんが騙されたってわけだ。嬉しそうに学習会の内容を報告する母さんに、ぼくは何度も、一回り以上も歳の離れたガキの不登校とぼくの状況はまったく違うこと、ようするに、そいつの不登校は金持ちの甘えでしかなくて、世代的・社会構造的な問題に原因するぼくの状況とはまったく違うことを説明したんだけど、どうも母さんには理解できないみたいで、ぼくはとても悲しくなった。一度なんか大喧嘩になってしまった。ぼくが母さんの間違いを正したら、母さんは突然、大声でヒステリックに泣きわめいて、食卓の皿をすべてひっくり返し、流しの下から包丁を取り出して自分の手首にあてたんだ。びっくりしたのと怖くなったのとで、何もできずに見入っていたら、母さんはふっと正気に戻って、無言で散らかした料理を片づけ始めた。ぼくは逃げるように二階の自分の部屋に閉じこもった。それ以来ぼくは母さんが学習会に行くのを批判するのはやめた。学習会の価値を認めたわけじゃない。あいつらがぼくらを救うはずがない。だけどぼくは母さんだけは絶対に悲しませたくないから。

 ぼくは自分がどう言われても思われてもかまわない。でも母さんを悪く言う奴は絶対に許さない。前に小沢一郎が「ニートの親は動物にも劣る」とか吐ぬかしたとき、ぼくは怒り狂って、2ちゃんねるに小沢と民主党を罵倒するレスを一〇〇〇回くらい書き込んでやった。ぼくは自分がニートと呼ばれようが、ひきこもりと呼ばれようが、あるいはそれ以外のどんなレッテルを貼られてもなんとも思わない。ぼくはぼく自身でしかない。それに実際のところ、金になる仕事もせず、いい歳して家に籠っているわけだから、そう呼ばれても致し方ない部分もある。もちろん、そう名指して何かを言った気になっている奴は下劣だけど、客観的な現実を認められない欺瞞も腐ってる。でも、母さんを悪く言う奴がいたら、ぼくは無条件にそいつを憎んでやる! 呪ってやる!

 おにぎりはシャケと梅干と昆布だった。安心したぼくは、それらを一気に味噌汁で流し込み、二階の自分の部屋に戻った。薄暗い部屋には昨夜の精液の生臭い匂いがこもっていた。何年経っても慣れない匂いってあるものだ。換気のため、カーテンを閉じたまま窓を少し開け、ぼくはいつものようにパソコンの前に座った。

【左翼のどこが間違っているのか?(13)】

 それでは引き続き考察を進めましょう。すでに何度も繰り返し書いてきたように、私が左翼的思考一般を批判するのは、彼らが致命的に自己批評性を欠いているからです。たんなる無自覚であればまだいい。けっして大人として褒められたものではありませんが、「相手は幼稚園児や小学生なのだ」と我慢して啓蒙すればいいだけですから。問題はそれが独善的ナルシシズムによって支えられていることです。たとえば、彼らはしばしば「他者との対話」を強調しますが、その根本には「正しい自分」、正確には、口では「自分を疑っている」と嘯きながら、行動においてそれを微塵も疑わないナルシスティックな自己欺瞞がある。それが現実や歴史を自分に都合よく捻じ曲げる愚行につながるのです。

 彼らはナルシシズムを補強するために何でも利用します。戦争被害者、在日外国人、被差別部落、障害者、野宿者、女性、子供、老人などなど。最近ではフリーターや派遣労働にも手を伸ばしていますね。彼らの「弱者好き」はほとんど病気です。おそらく、彼ら自身が心性的に弱者であり、だからこそ、より弱そうな存在を見つけることで心のバランスを保たなければならないのです。彼らはネット右翼の「弱者叩き」を批判しますが、弱者相手にナルシスティックな欲望に浸りたいだけという点で、どちらも大差ありません。むしろ、反日サヨクのナルシスティックな脳内花畑発言が、竹島の領土問題、東シナ海の石油問題、北朝鮮の拉致問題などの現実的な局面で日本の国益を損なわせ続けるかぎり、それに対する抵抗勢力の示威行為は必然であり、必要であるとさえ言えるでしょう。

 (ここまで書いてちょっと一息。読み返してみよう。主張は問題ない、が、具体性に欠けている。それに最後の箇所は強硬論者みたいに読まれるかもな。カタカタ……)

 断っておけば、私は、「戦争が出来る国にしよう」と述べているのではありません。自国のリソースを何も考えずに手放そうとする、理解不能な人たちがいる現実を危惧しているだけです。たとえば、本気で国内の弱者問題──それは主として経済問題です──を解決するつもりなら、対中国ODA(1979年開始以来の総額3兆4000億円。2008年に廃止)は一刻も早く廃止するべきだったし、中国が不当に採掘を開始した東シナ海の油田・ガス田(原油・推定1000億バレル以上、天然ガス・推定2000億?、推定合計約700兆円相当)も迅速に採掘を進め、それらを生活保護や生活支援などの弱者救済に充てる、という発想は当然あって然るべきです。それらを国民に分配すれば、一人当たり540万円くらいは受け取れる計算になります。現在の生活保護受給者の数は90万人程度ですが、そこにすべて回せば一人当たり8億円ほどです(もちろん不正受給者の問題もありますし、国民がそのような使い方に納得すると思えませんが。金額のイメージをつかんでもらうためにあえて大局的な話をしているので、どうかご理解を)。

 あるいは、かつて二・二六事件の首謀者として処刑された北一輝が、その著書『日本改造法案大綱』で主張したように、私有財産制に手をつけるという方法もあり得ます。たとえば、現在、一世帯当たりの平均所得は563万8000円(平成18年。厚生労働省調べ)とされていますが、年収1000万円以上はすべて国家が没収し、福祉政策に充てるといった姿勢を打ち出すことも可能なはずです。少なくとも所得というレベルでは国民の大多数の支持を得られる。自分の所得はまったく減らされることなく、行政サービス全体が飛躍的に充実するわけですから。もう少し金額を高めに──国民の70パーセントが支持するくらいに──設定すれば、国会での議決権を完全に握ることもできる。

 (数字はもういいな。逆にちょっとうざいかも。主張、主張。カタカタ……)

 つまり、労働運動や生活相談をチマチマやってる暇があるなら、国家のグランドデザインそのものの全面的な改造を目指すべきではないのか。そのためには、日本社会にはびこる、金持ちに対する嫉妬という低級で惨めな人間性を大いに利用するべきです。

 そもそも誰かから何かを奪い取るのは生々しい不快が伴います。誰だって本当はそんなことしたくない。できれば、ささやかでも、自分の力で稼いだ金で暮らしたい。誰にも金を貰ったり、借りたりしたくない。そして余裕があれば貧しい人を助けたい。しかし、もはや日本はそういう状況ではなくなってしまいました。家賃や公共料金を払った残りで翌月まで何とか生き延びるので精いっぱい。この生活が死ぬまで続くのか。とても好転するとは思えない。自分が悪いのか。悪いんだろう。おれは自分が悪いと思いながら惨めに死んでいくんだろう。納得できない。したくない。ならば──。

 (ならば何だって言うんだ。くくくっ、滑稽だよ、希望なんて。カタカタ……)

 でも、そういう必死の姿勢は、平和とアジアと民主主義が大好きな左翼の方たちはお嫌いのようですね。たんに政府を批判すれば足りると思っている。あるいは理論的な思索に逃げる(ベーシックインカムをめぐる学者の議論などはその典型です)。ようするに自分が汚れる覚悟がない。代理戦ばかりで自分の敵に向かっていかない。一見、弱者の味方のような素振りを見せながら、自分は安全な場所にいる。それは彼らの行う「謝罪」にしても同じで、あくまで「政府が悪いことをしてごめんなさい」なんですね。内心、自分が悪いことをしたわけではないと思っているから、臆面もなく謝罪できる。そういうユルい謝罪が、心理的に、本当に頭を下げなければならない相手に対する謝罪のすり替えになることも付け足しておきます。そんな覚悟のなさや卑怯さが、ナルシスティックな「正しい」言葉にいちいち透けて見えるから、彼らはまったく信用されないのです。

 さらにタチが悪いのは、彼らも彼らが守ろうとする対象自身も、現実にはさして弱者ではないことです。むしろ利権に塗れた強者だったりします。たとえば、小林よしのり『戦争論』、山野車輪『マンガ嫌韓流』、青木直人『中国利権のタブー』、野村旗守『北朝鮮利権の真相』、寺園敦史『だれも書かなかった「部落」』といった本、あるいは「諸君!」、「正論」、「WiLL」あたりの雑誌を読めば、我々が何となく加害者として申し訳なく思わされている存在が、じつは被害者のフリをした利権ゴロであることがわかります。しかし、この一連のエントリーの目的は、そういう不当な権利要求をする者たちを叩くことではありません。そもそも一介の素人である私に、評論家やジャーナリスト諸氏のような調査能力や分析能力があるはずもなく、彼らの真似事をしたところで所詮タカが知れています。このエントリーの目的はあくまで、これまで12回に渡って書いてきたように、「左翼のどこが間違っているのか?」を一素人の実感から語ることですから。

 (くそっ、弁解じみてるぞ。まあ仕方ない。前回のエントリーで在日特権はしつこいくらい叩いたからな。そろそろネタの前フリに入るか──。カタカタ……)

 それはたとえばこういうことです。すでに何度も書いたように、私は長い間、新聞と言えば朝日新聞だと自然に思っていました。学校でも「天声人語」を何度も読まされたりしたので、何となく「朝日新聞=公正」というイメージがあったのです。でも現実はどうでしょうか。たとえば、若者の雇用状況に警鐘を鳴らす朝日自身は、有名大学の新卒しか社員として採用せず、その平均賃金は30代で1500万円を超えると言われます。同社から刊行されている「論座」では、若者の左傾化(「現代の連帯」とか「ロストジェネレーション」とか「格差問題」とか)を妙にもてはやしていますが、編集部はそういう自分たちがネタの10倍以上の金を稼いでいることについて、どう考えているのでしょうか。「正社員とフリーターの敵対性を可視化せよ」と主張した赤木智弘氏の「丸山真男をひっぱたきたい」が、まさにその「論座」に掲載されたというのは、私には悪い冗談にしか思えません。実際、単行本化は別の出版社が引き受けているということは、赤木氏は一時的なネタ提供者という位置づけなのでしょうか。ひどい話ですね。で、その周囲に、年間1000万円くらい稼ぐ左翼系学者、その予備軍の院生なんかがコバンザメのようにくっついている。べつに自腹を切って何かをやれとは言いません。ただ、弱者をネタに自分がちゃっかり高給取りになっていく、その構造は深く自覚してもらいたいものです。

 (はい、ここで本日のネタ投入、っと)

 ところで、こういう朝日新聞社の欺瞞体質が遺憾なく発揮されたのが、いわゆる「ヘラルド朝日訴訟」です。みなさんはこの訴訟はご存じでしょうか?

 朝日新聞の英字紙「ヘラルド朝日」(2001年創刊)の編集部には、朝日新聞社の「正社員」と「非正規社員」(派遣社員、契約社員、アルバイトなど)がいました。その非正規雇用職員のなかに、1日8時間・週5日のフルタイムという正社員と同じ条件で働きながら、雇用保険も社会保険も支払われず、年休もなく、給料は日給・月給制という人たちがいました。そもそも彼らは雇用契約書も交わしていませんでした。彼らは「労使関係があいまいなことに問題がある」と考え、朝日新聞社と雇用条件をめぐって団体交渉をするために、自分たちで労働組合を作りました。2002年11月のことです。

 ところで、みなさんもご存じのように、朝日新聞は2006年7月以来、キヤノン、トヨタグループ、松下グループ、東芝家電、いすゞ自動車グループ、日亜化学工業などの工場で、本来、雇用契約を結ぶべき状態で働いている労働者を「業務委託」扱いする、いわゆる「偽装請負」を叩くキャンペーンを大々的に行ってきました。

 業務委託とは、ある専門的な技術を社外からアウトソーシング(外注)するさいに取られてきた、もともと技能職に限定される契約形態です。そこでは会社と個人は「サービス購入者」と「個人事業主」という関係になるため、労使関係が発生せず、したがって会社には雇用保険や社会保険などを支払う義務が生じません。逆に、サービス提供者である個人は、通勤や拘束などの通常の労務形態からは免除されることになります。いわゆる「偽装請負」の問題は、実態として、1日8時間・週5日のフルタイム出勤という明らかに定時の労働をさせているにもかかわらず、それをあくまで「業務委託なのだ」と言い張ることで、会社側が労働者に対する雇用責任を放棄していることにあるわけです。

 それでは話を戻しましょう。正社員と同じように、フルタイムで働いているにもかかわらず、福利厚生が守られていない、というのがヘラルド朝日労働組合の主張でした。それに対して朝日新聞社側はどんな対応をしたのか? なんと朝日側は「業務委託だから」と言ったのです! 自分たちが叩いている相手と同じロジックを使ったわけです! 信じられますか? ただし、この主張は2003年のもので、後に「これまでは業務委託だったが、これからは仕事内容によっては一年の雇用契約を結ぶ」と姿勢を変えます。そこで次の問題となるのが、4回を限度とする「期限付更新」なのですが、それについては省略します。結局、朝日側の主張を受け入れなかった組合員は、解雇通告を受け、2005年7月に原告として朝日新聞社を提訴しました。地裁での一審は敗訴。東京高裁の二審でも敗訴。組合結成時のメンバー18人は、全員、何らかのかたちで職場を追われました。組合結成後に生じた職場内でのいじめや嫌がらせが原因とされています。

 ただし、私が注目するのは、訴訟それ自体ではありません。そもそも原告側が純粋に被害者と言えるかどうかも疑問です。経験を積んだ記者が同じ場所に居座れば、当然、次の世代が参入する余地はなくなる。その問題を織り込まないかぎり、彼らもまた既得権益に固執している、と言わざるを得ません。ポイントは団体交渉の場で朝日側が述べた、「編集方針と労務方針はまったく別」という言葉です。偽装請負を正義者面して叩いてきた朝日自身が内部では同じことをやっている。だけではない。居直っている。言っていることとやっていることは違って当たり前だと。これですよ。これこそが私がけっして許せない左翼的ナルシシズムです。相手を叩く論理を絶対に自分には適用しない。そもそも言行を一致させるつもりなど端からない。だからこそ厚顔無恥な偽善を垂れ流せる。そのような姿勢で作られている出版物が、毎朝、800万部も刷り上げられ、日本国内に偽善と欺瞞を醸成している。数千万円のマイホームで奥さんの作る朝食を食べながら、「最近の若者は大変だな」と憐れみつつ、「でも正社員だって大変だよな?」と寿退社した大卒の可愛い奥さんと微笑みあってから出勤し、出社前に会社近くのコンビニでタバコを買うとき、「ちょっと早くしてよ、急いでるんだから」と、昨夜22時から仕事に入り、あと30分で仕事から上がれる時給900円のアルバイト男性(30代前半・独身)に平然と言い放つ、そんな光景が全国のここかしこで繰り返されていると思うと、本当にたまらない。どんなに新聞やテレビで騒がれても、こんな日常の光景は絶対に変わらない。怒りでも絶望でもありません。ただ吐き気がするだけ……。私はその吐き気を言葉に変えているだけ……。

 もうずいぶん長くなりました。今日はこれくらいにしましょう。

 最後にもう一度だけ強調します。

 何かを主張する前に自らをまず批評せよ! 自らの欺瞞を直視せよ!
  そして、言葉を失って立ちつくせ! 幾億千万のサヨクども!

 っふう。脱力。もう余力なし。冒頭からざっと読み直して、誤字・脱字を一通りチェックし、ぼくはこの文章をブログにアップした。ついでに昨日のアクセス数も見る。500ちょっとか。まあこんなもんだろう。メールもチェック。ブログの読者からの感想メールが一件。スパムが12件。知り合いからの連絡なし。いつも通り。感想メールを送ってきたのはブログの常連の一人だ。何をやってる人なのかは知らない。会ったこともない。ただ、ぼくの書いたエントリーについて、なぜか毎回のように好意的な感想をくれる。どうせ暇なのか、寂しいのか、その両方なんだろう。ぼくの方でも、礼儀として返事は返すけど、それ以上のコンタクトを取る気は起こらない。「感想どうもです。最近ちょっと自分的に気合いれてます。状況はよくない。ひどい世の中です。それでもやはり、書いていこうと思います。なんかネタあったらURLください。それでは」。送信。

 このブログをはじめてもう五年になる。はじめて自分のホームページを開設したのは十年前だ。その頃はインターネットがまだ目新しくて、ロクに使い方もわからないまま、タグ打ちで自前のページを作ってみたのだった。自分の言葉がそのまま公になるという経験は新鮮だった。読んだ本、観た映画、食べた物、行った場所、遊んだゲーム、日々の出来事……。それらが書く対象になるなんて、ぼくは一度も考えたことがなかった。まして自分の文章が誰かに読まれるなんて。そもそも書きたいことなんてなかった。ただ、夏目漱石が『吾輩は猫である』を精神のリハビリとして書いたように、当時のぼくには目の前の現実を言葉でつかみ直してみることが何としても必要だったし、それはきっと「ここにいないあなた」に向けて書くという形式以外、ありえなかったんだと思う。

 ぼくは書いた。来る日も来る日も書いた。本当にバカみたいに書いたんだ。それを通じて様々な出会いがあった。プロの物書きを目指す人たちにも会えたし──オフ会にも出たぜ──実際にプロの物書きに会えたりもした。そんな交流のなかから、ぼくは、ネットがなければけっして出会わなかったような同世代の友人たちと出会い、ともに活動し、少しずつ自分たちの発言力を強めていった。ぼくたちの活動は小さな──ミトコンドリアを電気メスで切り刻んだよりも小さな──メディアの一角でそれなりに温かく迎えられた。ようするに、その界隈ではちょっとしたものだった。べつに生活条件が変わるわけじゃなかった。相変わらず金のないアルバイト生活。でも、そういうのって嬉しいものだし、実際けっこう楽しかったんだ。ぼくは生来の物臭なりに一生懸命働いた。そして一生懸命書いた。働いた。書いた。働いて、書いて、働き書きまくった。そうして、そんな数年にわたる努力のいっさいすべてが、なんと完全にムダだったのである。

 積み上げられた無数の本には、たっぷり埃がかかっている。何度も読んだ本も、一度も目を通さなかった本も、等しく時の流れに朽ちはじめていた。見てるだけで息苦しくなるけど、どれも父さんに買ってもらったものだ。売ることも捨てることもできない。父さんとの思い出の品だし、きっと母さんが悲しむから。でも、これは誓って言えるけど、頭のいい人が書いた本なんて読む必要なかった。頭のいい人と頭のいい人に憧れる人の違いはもう、これは本当にもう悲しいくらい致命的にあって、ぼくたちの世代の本当の病は、自分が後者であるにもかかわらず、前者だと錯覚するところにあるはずだ、とぼくは思っている。超ハードな受験競争のなかで形成された特殊な人格は、今後、相対的に雇用が安定するなかでこそ問題化してくるはずだし、そのとき、ぼくらは自分の人生を丸ごと否定することを強いられるだろう。このイデオロギーが、両親・学校・世間の善意において注入されてきた以上、その毒を抜くには積極的に悪意をもって臨むしかないんだけど、そもそも人間は、子供の頃から自分を形成してきた善意と祝福に唾を吐くことなど出来るんだろうか? 出来るとすればそれはいかにして? なんて考えてしまうことに問題があるんだろうなきっと。ようするに、ぼくが言いたいのは、頭のいい人は自分と相手の立場の差を感じさせないように自分自身を無自覚に欺くことができるくらい頭がいい、ってことなんだ。もちろん皮肉で言ってるんだけど、ある意味、最大の讃辞にもなってると思う。彼らの発するメッセージの内容だけじゃなくて、それが本というかたちで生産され、消費される社会のありかたそのものが、ぼくたちを生きづらくさせているわけだ(ん、この考え方自体がアルチュセールのイデオロギー論っぽいぞ、くそっ)。

 赤い斜陽がカーテンの隙間から射し込んできた。薄暗い部屋が黄金色に輝く。埃が中に浮いている。床に散らばったコンビニの袋のなかに、精液を吸ったティッシュが透けている。吐き気がする程いつもの部屋だ。二十年前から時間が止まったまま。テレビも本棚もベッドも机もステレオも。本は増えた。このパソコンも加わった。それだけだ。本当にこの部屋はそれだけなんだ。夕陽はさらに輝きを増して、ぼくの額に射してくる。太陽の中心、核融合が放出するガンマ線、その搾り粕みたいな可視光線と赤外線と紫外線が地球に降り注ぎ、何億もの生命を生んだのだ。でも、それは、何億もの死を生んだと言っても同じじゃないのか。顔が熱い。眼球がじくじく痛む。閉じた瞼の奥が赤く滲む。唇が干乾びていく。外の陽射しは強すぎて、このままでいると、ぼくのからだの何から何までも壊れてしまう気がした。カーテンに手を伸ばすと、光は逃げるように退いた。再び雲に包まれたんだろう。どこか遠くで泣き声が聞こえた気がするけど、誰かがふざけて叫んでみただけかもしれない。ぼくは暗い部屋の中、モニターに再び目を落とし、デスクトップから2ちゃん専用ブラウザ「ギコナビ」を立ち上げた。戦闘開始。

 論争。ぼくは論争が嫌いだ。ぜんたい人と争うのが嫌いなのだ。ぼくのブログにはコメント欄がない。閉鎖したホームページにも掲示板はなかった。最初は設置してたけど、何度か嫌な目に遭ったあとで、面倒臭くなって外したんだ。というのは、自分では積極的な意見がないくせに──言いたいことがあるなら自分でサイトを持てばいいのに──いちいち人の意見に絡んでくる奴がいっぱいいて、そいつらの連続長文書き込み──つまり「荒らし」だ──に対応するのに、うんざりしたから。ぼくはそういう議論が起こるたびに「ご自分のページでなさってください」とご遠慮願うことにしていた。ところが、大抵はこれで食い下がってくれなくて、「言論を発表する以上は他者からの批判を拒絶するべきではない」とかって話になる。それに対して、「発言する余地は残しているでしょう。ぼくがあなたの書き込みを勝手に削除したことがありますか? ぼくは『くだらない書き込みはやめてくれ』とあなたの在り方を「批判」しているのです」と書いたら、この言い方が癇にさわったみたいで、好き放題書かれる事態になってしまった。荒らしはどんどん加熱していって、ついにはプライヴェートなレベルでの──かつては本名で活動してたから──バッシングまではじまった。ぼくは、書きこまれた事柄の事実誤認を逐一訂正して、最後にこう付け加えた。「これ以上、このような名誉棄損・誹謗中傷を続けるなら、本意ではありませんが訴訟を起こすことも考えざるを得ません」。これに対してすら、「言論を志すものが法に頼るのか」云々とかって難癖がついたけど、ぼくは完全に無視し、ちょうど一週間後に掲示板を全面閉鎖した。それから五年経って、ぼくは本名で書いていたページそのものを閉鎖し、人知れずハンドルネームでこのブログをはじめたのだった。

 そんな論争嫌いのぼくが、なんで毎日のように──っていうか文字通り毎日なんだけど──2ちゃんに張り付いているのかと言えば、それは「戦うため」と言うほかない。何と戦ってるのかは自分でもわからない。ただ、世の中の偽善と欺瞞を、ぼくを救わなかったどころか滅ぼしていった左翼信者たちをひたすらジェノサイドするだけだ。

 まずは「ニュース速報+」板を取得する。めぼしいスレッドは……と──[【論説】小学生でも解る真実、『人間の価値はカネで決まる』]が伸びてるな。あとは……何だこれ?──[【論説】宮沢賢治の作品に『ツェねずみ』という童話がある。「償(まど)うてください」を口癖にするねずみの話だ]。何でこんなのが上がってんだろう。読んでみると、宮沢賢治の「ツェねずみ」って童話は、主人公のねずみが相手の好意を自業自得で破算にしたくせに、それを相手の責任に転嫁するって話らしくて、ようするに、これが朝鮮人をモデルにしてるとかって盛り上がってるわけか。ははは。バカバカしい。まあいいや、適当に煽っとこっと、「まんまチョンだなおいwww」っと。あとは「人間の価値」云々のスレを煽っとくか。「正論。このスレ見ればわかる」「ここで大騒ぎしてるのはカネ=価値のない人間」「おまえら幼稚園児以下だってさ」「どうして「金じゃない」って書き込まずにいられないのかねえ。胸に手をあてて考えてごらんよwww」……。

 よし、ウォームアップ終わり、これからが本当の戦いだ。

 政治経済から「共産党」板と「政治思想」板を取得する。はっきり言って、ニュース系の板に比べると過疎ってるんだけど、だからこそ時々「真性サヨク」が湧いてきておもしろいことになるんだ。超ムキになって反論してきたりして。笑えるんだよな。この前なんか「派遣労働問題」について左翼が群がって叩いてたから、そこで派遣会社を支持する書き込みをしたら、いっせいに攻撃してくるんだもん。工作員乙とか。さんざん「敵」に叩かせておいて、ぼくは最後にこう書いてやった。「ぼくは30代の日雇派遣労働者です。学歴もないし、持病を抱えているので、日雇派遣で働けるかぎり働き、体調を壊したら休職するという生活を20代後半からずっと続けています。なにかヒントがあるかと思い、このスレに来てみましたが、袋叩きにあってしまい残念です。みなさんの偉そうな議論よりも、みなさんが忌み嫌う派遣業者の方が、ずっとぼくの生活を支えてくれます。これから夜勤に入ってきます。もう二度と来ません」。これを読んだ左翼どもの反応ったらなかったな。沈黙する奴、反省する奴、ネタと居直る奴、なかったことにする奴、とにかく誰もが自分を正当化するのに必死でね。あれが蜘蛛の子を散らすって言うんだろう。

 案の定、伸びてるスレッドは全然なかった。仕方なく、ぼくはめぼしいスレが上がるたびに感情を逆なでするような一行レスをつけ続けることにした。本当は長文カキコの方が釣れるんだけど、それをやるだけの体力が今日はもう残ってない。じゃいくよ。

〈自分の間違いを認められない惨めなウジ虫の溜まり場はここですか?〉
〈ブサヨ必死だなwww 社会のゴミ同士で一生ゲバってろ〉
〈ツベコベ言わずに働けよ、この貧乏人どもがwww〉

 相変わらず労働関係のスレが多いけど、本当に切羽詰まってる奴なんているのかね。

〈乞食なんかほっておけよ。働かざるもの食うべからず〉
〈世間は戦後最大の好景気だってのにおまえらときたらry〉
〈「格差論は甘えです」(奥谷禮子 人材派遣会社ザ・アール社長)〉
〈日本が嫌ならとっとと出てけよ。アフォな先輩が沢山いるだろwww〉

 レスをつけていると、生活に困ったので生活保護を受給したい、という書き込みがあった。母子家庭で身寄りがないそうだが本当かどうか。怪しいもんだな。

〈へーそう。金づるになる新しい男でもつかまえたら?〉
〈とっとと死んでくれ。納税者たちの血税にたかんじゃねえよ〉
〈こりゃ際限なく湧いてくるな。まとめて処理した方が安く済むんじゃね?〉
〈あのな、生活保護以下の給料で細々と生きてる奴がゴマンといるわけ、わかる? 2ちゃんやってる暇あるなら働けってwww お国に迷惑かけんな〉

 ぼくは、この母親(どうせ嘘だろうけど)の書き込みが妙に癪にさわり、ついつい我を忘れて連続で書き込んでしまった。すると数秒後、ぼくの書き込みにレスがついた。

〈きみが可哀想でたまらない。できれば代わってあげたい〉

 釣れた。偽善者発見。優位に立とうとしてるな。ぼくのいちばん嫌いなタイプだ。

〈どうもありがとうwww 顔の見えない相手になら何とでも言えるもんな、どうだ、優位に立てて気持ちいいか? せいぜいサヨクらしく責任でも感じてくれwww〉

 これで書き込みが止まればそれまでだ。来るもの拒まず去るもの追わず。

〈気持ちよくなんかないよ、ただ、苦しそうだなって〉

 ぼくは「敵」の姿を想像してみた。男か女か。まあ男だろう。年齢はまだわからん。知識をテストするようなネタフリはしてないからな。口ぶりが妙に幼いこと、ぼくの書き込みを無視できなかったこと、この二つで判断すると民青あたりのガキかもしれない。いずれにせよ「敵」であることは間違いない。ぼくは本格的に臨戦態勢に入った。

〈はん? 苦しいのはおまえだろ? 勝手に代わられても迷惑なんだよ、そういうことは自分をきれいにしてから言え、そんな日は永久に来ねーだろうけどなwww〉

 ザコたちの書き込みが止まった。ぼくと「敵」に注目が集まりはじめたのだ。この局面から連続で釣っていくこともできるかもしれない。そのためには議論のテーマをもっと開かないと。食いつくのはやっぱり労働問題かな。それとも九条かな。それとも死刑制度かな。何でもいいよ。どれがおまえの気持ちいい正義を満たしてるんだい?

〈うん、だから自分を救うために、きみに呼びかけてる〉

(う、なんか気味が悪いな、宗教っぽいぞ)。訝っていると連投がきた。

〈顔の見えない相手って言うけど、現実になかなかいないもの、きみみたいな人って。もちろん内心どう思ってるのかなんてわからないよ。でもね、ふつうの人はこんなところで何かを罵倒し続けるより、もっと楽しいこと、たとえば、家族と過ごしたり、友達と過ごしたり、恋人と過ごしたり、娯楽とか趣味に自分の時間を使うんじゃない? 人生は楽しいことばかりじゃない。何もかもが思い通りになるわけじゃない。でも、パソコンの前に何時間もはりついて悶々としてても、きみは救われないと思う〉

(何だろう。こんな言葉をずっと前にも聞いた気がする……思い出せない)

〈その言葉そっくりそのままお返ししますよwww〉

 頭にひっかかる何かを振り払うように、ぼくも連続で書き込んだ。

〈おまえの言う「現実」ってのがウソっぱちなんだよ。おまえが言ってる「ふつう」ってさ、何のことない、ようするに、社会的性差別、同朋意識、性的支配関係、先進国の経済的優位に居直れってことじゃねーか!www もちろんそれでいいんだぜ。おれはな、自分を善良だと思い込みたいおまえらサヨクが見たくないものを、あえて可視化してやってるの。家族が崩壊したら嫌だろ? 友達がいなかったら嫌だろ? 恋人がキチガイに殺されたら嫌だろ? クーラーのない部屋は嫌だろ? それらを保障してるのは日本って国じゃねえか! 国を守るためには団結と武装が必要だろ? そのためにはさ、「お国に迷惑をかけるくらいなら自分が犠牲になる」っつう覚悟が必要だろ、常識的に言って。ちょっとは現実的に考えてみようぜ。本当は自分のことしか考えてないくせに、自分を度外視するような言い方やめろ。生産的な議論する気ないなら消えろ。おまえキモイよ〉

(よし、これで具体的な議論に転回させよう、流れを戻さなきゃ)。とはいえ、奇妙な興奮に身を任せて、ややカッとなった書き込みをしてしまったのはまずかった。単なる粘着ウヨ認定されてしまうと絡んでくる奴がいなくなってしまう。反省。

 そんなぼくの反省を無視して「敵」の書き込みは続いた。

〈ふつうの生活をするために軍隊が必要なの? 日本ってそんなに信用できる? だってきみはふつうの生活を送っているの? とても苦しそうに見えるよ。家族とはうまくやってる? 友達はいる? 恋人はいる? クーラーの効いたその部屋は快適?〉

 ぼくの手が止まった隙に何人かの野次カキコが入った。「あんた優しいなwww」「いや残酷すぎるwww」(くそっ、笑ってるな、傍観者どもめ、吐き気がする)。

〈だから人に説教たれる前に自分の幸せを考えろっつーの。これでFA。おk?〉

〈わたしは罰を与えられているから〉

 この意表をついた返事に、ぼくは一瞬ドキッとした。
「ただいま。何よ、食べなかったの、夕ごはん?」
  不意にドアの向こうから声が聞こえた。その声に呼ばれるまで、ぼくは母さんが帰ってきたことに気づかなかった。ご飯か。そういえば夕飯代の千円がテーブルに置きっ放しだったな。起きたのが、ええと……昼過ぎで、もう九時過ぎってことは──ちょうど九時間……。ぼくは九時間もモニターの前に張り付いていたのか……。
「うん。忙しかったから、食べるの忘れてた。なんかある?」
「じゃ十五分だけ待って。チャーハンとお味噌汁とサラダ、ちゃちゃっと作るから」
  階段を踏む音が遠ざかっていった。ぼくは再びPCのモニターに向かい合う。反応が遅れた隙を突いて、再び「敵」は連続で書き込んできた。

〈でも、きみが苦しんでいるのを見るのは、悲しくてたまらない。確かに生きるって楽しいことばかりじゃないよ。何もかもが自分の思い通りになるわけじゃない。でもまだ間に合う。今ならまだ間に合う。きみはまだ間に合うんだよ〉

 そうか。父さんの口調に似てるんだ。生前の父さんは、ぼくを叱るときに必ず、「人生は楽しいことばかりじゃない。何もかもが思い通りになるわけじゃない。でも──」と言っていた。「でも──」の後にはいろんな言葉が来た。状況によって教訓っぽかったり、冗談めいていたり、いくつものバリエーションがあったけど、そのすべてがぼくを励ましていた。ぼくは父さんが死んだとき、棺の前で、この父さんの言葉を何度も唱えた。だけど「でも──」に続く言葉はついに見つからなかった。今も見つからない。

 畜生。イタいこと思い出させやがって。おまえは絶対に許さない。見てろよ。おれは絶対に退かないからな。おまえが書き込んだらその倍返し、倍々返し、いや、十倍返しで叩き返してやる! それでおまえが逃げたら、「やっぱサヨクは根性ねーなwww 二度と来んなよ リアルで反省しとけwww」って勝ち誇ってやる!

 しかし、ぼくの書き込みは、それは惨めなものだった。

〈お生憎さま。もう間に合ってるwww おれ、これから年収2年分の一戸建マイホームに帰って、元丸の内OLの美人の嫁さんの作る美味い飯食うんだわwww〉

 くそっ。偽ったぞ。父さんの前で自分を偽った(ん、ぼくは、何を言ってるんだ?)。自分の言葉を掻き消すように、ぼくは無我夢中に長文を書き込んだ。

〈何が「罰を与えられている」だwww かっこつけてんじゃねえぞ。おまえらサヨクのそーゆーとこがムカつくんだよ。罪だの罰だの言ったってさ、おまえがやってることって結局、おれの議論を無視して、一方的におれを「弱者」に押し込めて、それを励ますことで自分の優位を確認してるだけってことに気づけよバカ。それって具体的な論争になったらボロが出るからなんだろ。捏造・隠蔽・すり替え・忘却はおまえらサヨクの得意技だからな。都合の悪い事実や問いかけは無視して、それがさも善意と良心からのように、いつの間にか自分に有利な状況に持ち込む手口はもう見あきたよ。それからさ、おい、このやりとり見てるそこのおまえ。おまえだよ、お、ま、え。おまえだって、これについて自分のブログに書いたり、人と話したりして平気でいられるんだろ? いっぱしの感想とか持っちゃうわけだろ? こんなもん読んでる自分って何だろうとかまったく思わないんだろ? ほんの一瞬だけ何か思ったとしても、あっさりサヨク的に健忘して、次から次へと弱者ネタを漁りまくる一方、絶対に自分は顧みず、そのくせ奇妙に被害者意識のカタマリで、何かを見た気になっては得意気に浮かれまくる毎度の自己撞着、うんざりだよ。ブログやら何やらで好き放題書き散らすそのくだらねえ思いつきのいちいちに、かつて他者からの真摯な問いかけを姑息に回避したおまえの卑怯な欺瞞体質が無残に刻印されてることに、おれが気づいてないとでも思ってるのか? 結局みんなてめえばかりで、他者に対する想像力も、現実に対する想像力も、これっぽっちもありゃしねえ。おまえらには罰どころか生きる資格さえ与えられてねえことに早く気づいて100万回反省しろヴォケ〉

 ぼくは完全に興奮状態になっていて、時間の感覚も何もかも忘れて、沸騰しそうな勢いで「敵」の返事を待った。何度も何度も板を更新し、いつでも叩き返せるように臨戦態勢を取り続けた。一行二行の野次は無視した。ザコは相手にしない。

 だけど返事はいくら待っても返って来なかった。
  少し気が抜けて、ぼくはニコニコ動画で初音ミクのPVを見たり、ドナルドのMAD映像を見たり、47ちゃんのダンスを見たりして時間を潰した。動画を見ながら書き込みを
チェックし続けたが、一向にリアクションはなかった。ぼくは「敵」が逃げたのかもしれないと思ったが、この手の偽善者は「自分が正しい」と思っているので黙って逃げるようなことはまずしない。逃げた自分を認めることができないのだ。ラストワードを言えないと言い負かされた気になる。それは本当に後悔するんだ。書き込むたびに負けた記憶が甦るんだ。だから、逃げるときには大抵、逃走を正当化する余計な二言三言を言う。負け犬の遠吠えを飲み込むことができないんだ。惨めな奴。それがわかってるから、ぼくは絶対にダメ押しすることにしている。2ちゃんに時々張られるコピペで、レイプするときに「おめでとう! おめでとう!」って言いながらやると、その女の子が人生で祝福される度にその記憶が甦るから最高ってのがあるけど、その応用みたいなものだ。サヨク的な偽善と欺瞞を振りかざすその瞬間、おまえはぼくの言葉を思い出すんだ。

──お待たせー! ご飯できたわよー!

 階段の下からぼくを呼ぶ声が聞こえた。でも返事はしなかった。ご飯より「敵」の反応が気になった。(ちょっと待ってよ、今、手が離せないんだから)

 時はさらに流れた。その時間の長さを言葉で言い表すことはできない。すべてを読み終えた今では尚更そうである。ログを見れば正確な時間を特定することもできるが、ぼくはそんな正確さに何の意味も認めることができない。ある特殊な心的状況においては、百年や千年は一瞬であり、一分一秒は永遠になり得るのである。ともかくその断続的に続く長い長い書き込みは、「きみは本当にそれでいいのかい?」という一言からはじまった。

〈きみは本当にそれでいいのかい? きみは絶望を抱えているんだね。その絶望ときたらとんでもないもので、世界を100万回呪っても足りないくらいなんだ。どこかで夏目漱石が言ってたよ。「此弊を救ふにはたとひ千の耶蘇あり。万の孔子あり。億兆の釈迦ありとも能はず只世界を二十四時の間海底に沈めて在来の自覚心を滅却したる後日光に曝して乾かすより外に良法なし」って。そんな感じを受けるな。ねえ、どんな過去を持つと人はそんな風になってしまうの? わたしはきみがどんな人なのか知りたい。どんな外見をしていて、どんな環境に生きていて、何を憎み、何を愛し、どんな風に笑うのかな? もっときみ自身に近づきたいな。そうだ、想像してみるね、きみは子供の頃はそんな風じゃなかったと思うんだ。ちょっと気難しくて、友達を作るのはあまり得意じゃないけど、本当はとても優しい子だったんじゃないかな。お母さんに読んでもらった童話の、それも「マッチ売りの少女」とか「人魚姫」とか「フランダースの犬」みたいな悲しい話を何度も思い出して、いつまでも泣いているようなね。あまりに悲しみすぎるから、きみのお母さんは心配になってお父さんに相談するんだけど、お父さんは「感受性が強いのは悪いことじゃない。人生は楽しいことばかりじゃないからな」と言って、「でも悲しみを理解できる子供に育ってよかったよ。あとはあいつの好きに生きればいいさ」と笑うんだ。そういう育て方がよくなかったのかな。きみは人一倍の感動屋さんになってしまった。きみのそばで誰かが泣いていると、一緒に泣いてしまうようなね。そう、優しいと言っても、励まそうとしたり、笑わそうとしたり、元気づけたりするような優しさじゃなくてね、となりに寄り添って一緒に泣いてあげるような、そんな優しさなんだ。そういう悲しみの引き受け方って理解されにくいものでね。みんな大抵は悲しみなんて一時的なもので、笑ったり励まされることで乗り越えるものだと思ってるけど、きみは違うんだ。むしろ悲しみこそが人間の宿命だと魂で感じているんだ。ただし、公正を期すために付け加えるけど、きみは悲しみだけが人間の一級の感情で、それ以外の喜びやら笑いやらは二級と考えてるわけじゃなかった。全然そうじゃないんだ。この悲しみを誤魔化さず、直視することのなかに生まれる喜びや笑いだけを、きみは喜びや笑いと呼びたかったんだよね。でも、そういう喜びって、地上には稀なんだ。いや、稀なんてもんじゃない、不可能なんだよ。いや、必ずしも不可能じゃないんだけど、2000年前にあの人がわずかに示しただけでね。そんな生き方を試みる必要なんか本当はなかった。荷が重すぎた。でもそれに気づいたときには手遅れだった。それが今の状況の根本的な原因だ。少なくともきみはそう思っている。でもそ
うなのかな。もう少しきみ自身に近づくね。ええと。唐突だけど恋人の話なんだ。きみには恋人がいたよね? 心の底から「出会わなければよかった」と一生かけて後悔し続けるような、それも、恨みや痛みや不幸からじゃなくて、まさに、まさにこのうえもなく幸せな瞬間を与えてくれたからこそ、一生かけて「出会わなければよかった」と思わなければならない、そんな恋人がさ。きみたちは数年間という、夫婦としては短いけれども、恋人としてはそれなりに長い生活をともに暮らした。あれは本当に奇妙で風変わりな生活だったよね。きみは彼女の深い悲しみのなかに本当の喜びの萌芽を感じていた。彼女が心の底から人生を祝福できるような社会にしたい、そのために自分の人生を使うことも厭わないと思っていた。だから彼女を失ったことはきみが味わった人生上の悲しみのなかで最大級のものだった。でもきみはその悲しみのなかからさえも喜びを生もうとした。こんなに辛くて苦しい気持ちのなかから生きる喜びが生まれてくるとしたら、自分はまったく新しい生物として生まれ変われるのではないかと思ったんだ。きみは再び生き直すために現実を言葉で記述することからはじめた。だけじゃない。それまでの不安定な生活を見直し──とはいえ正社員の職は見つからなかったけど──規則正しい生き方を試みたよね。給料のほとんどは部屋代と公共料金でなくなってしまう、月末から来月末までどう食いつなぐかに頭を悩ませる貧しくて惨めな生活だ。もちろん貯金なんてない。一日の食費は500円以下。たまに人と会うときのためにわずかに蓄えておく。そんな生活のなかできみは書いた。働いた。書いて、働いて、働き書きまくった。もういない「あなた」に向けて。そんな試みのすべてが無駄だったと気づくまでに数年の時間がかかった。そう。その日は突然やってきた。本当に何の前触れもなく。きみは彼女に出会うことがもはや二度とないと心の底から腑に落ちてしまった。きっかけは何だったのかな。たんに仕事に疲れたとか、書くことに疲れたとか、友達との関係がうまくいかなくなったとか、それらしい理由を挙げれば何かあるんだろうけど、そのどれもが微妙に正しくて、だからこそ、決定的にズレている。そもそも出会い直す可能性なんて最初からゼロだったんだ。この世界にいない存在と出会い直すことができるはずないんだもの。きみの張っていた気持ちの糸は一気に切れて、あとは鬱病・アルコール中毒・自殺未遂というお決まりのコースだ。そんなきみを見かねたお母さんは、「しばらく働かないで一緒に暮らそう」ときみを実家に呼び寄せた。それがきみをさらに追い詰めるとも知らずに。もう少しきみ自身に近づくよ。きみだって今みたいな生活がいつまでも続くとは思ってない。つまり部屋にひきこもってネットばかりやっているような生活なんてね。お母さんが生きているうちはいいけど──でも本当に生きているのかな──いつかは死んでしまうからね。だから何度も、ハローワークに通ったり、求人サイトで仕事を探している。探していたと言うのが正しいのかな。本当の本当に頑張ったよね。わかってる。でもダメだった。年齢的に希望の仕事に就くのはまず無理だし、何より、体の中に働く意志が湧いてこない。集中力が続かない。何回か──もちろんその数倍の面接を受けているわけだけど──きみは希望に近い職種に就けた。でも、どうしても職場でうまくやれなくて、クビになってしまう。そういう失敗体験の繰り返しがどれだけ人を追い詰めるか。そりゃ面接も怖くなる。そんなわけで、きみが最後に働いたのは、面接も履歴書もいらない日雇派遣だったね。決められた駅前に定時に集合して、自分よりも10歳以上も若い人たちと、現場にマイクロバスで連れられていく。着いた先は食品の製造工場だ。ラインに立ち、パンをシートの上に乗せる作業を、延々と8時間も繰り返す。数時間が過ぎて作業に慣れる頃から地獄が始まる。あんなに勉強して、それなりに認められて生きてきた自分が、たった一瞬タイミングを逃しただけで、どうして日雇いで工場労働をしているかって考えはじめてしまう。本当はもっとクリエイティブな仕事がしたかったのに、階段を一段ずつ降りるように自己評価を下げてきて、ああついに工場のライン作業か、だけど、こういう差別的な見方がダメなのかもな、なんて反省しても、この作業を一生続ける気にはどうしてもなれない。この感覚は決定的だった。違うな。本当に決定的だったのは、そこまで追い込まれてはじめて、今更、彼女の苦しみを体で理解したことだったね。何千何万の文字を書くよりも、グッドウィルやフルキャストの登録用紙に名前を書く方がはるかに、きみの魂に深く鋭く食い込んだ。そんな痛みが刻まれていない言葉を、きみは一瞬で嗅ぎ分けることができる。そして実際のところ、世間の労働問題を語る言葉のほとんどが、そんな痛みとは無縁なんだ。どうして言い切れるのか。そこに希望があるからさ。そう、きみの言葉の一貫した特徴は、人の希望を潰そうとすることなんだ。誰かから金が貰える、仕事が貰える、保障が受けられる、社会は良くなる、自由、平和、愛──そういう希望をわざわざこんな掃き溜めに進み入って、虱潰しに破壊するような面倒なこと、ふつうはやらないもの。でも、それが僻みではなくて、ああ、きみの優しさだとしたら? きみの魂は幼稚園の頃のままなんだ。友達の女の子が飼っていた猫が交通事故で死んだとき、となりでいつまでも一緒に泣いていたあの頃のままなのさ! きみはけっして贖われなかった悲しい魂に今でも寄り添い続けているんだ。そして、その窒息しそうな悲しみの水位から、世界に呪いをかけているんだ。わかってるさ。きみは誰かに危害を与えるようなことはけっしてしない。むしろ実際に会ってみれば稀有なほど人あたりのいい穏やかな人間だ。だけどもっときみ自身に近づこう。ひきこもりの殺人という言葉を聞くと、きみはたぶんドキッとするよね。このところ全国各地でひきこもりの殺人が報道されている。そういえばここが社会的に認知されるきっかけになったのも17歳の不登校の少年が起こしたバスジャック事件だった。わたしは彼らが生まれながらの殺人者だったとは思わない。案外、きみと同じように、心の優しい子だったんじゃないかな。まさか自分が人を殺すなんて思っていない。それもお母さんやお父さんを殺すなんて。それは親にしても同じでね。愛情を込めて育ててきた我が子を、まさか、自らの手で殺めることになるなんて思ってもみなかったはずだ。おぎゃあと泣き声を上げてクシャクシャの顔で生まれてきた子供を抱きかかえたときには、そんな悲惨な未来が待っているなんて想像もしていなかったはずなんだよ。さらに考えるのも恐ろしいのはね、その瞬間、まさに凶行の瞬間に彼らの脳裏によぎるのが、憎悪でも絶望でも敵意でもなくて、愛情たっぷりに微笑んでいた相手の笑顔かもしれないってことなんだ。もちろん最悪のケースだけど、きみの人生はそこから遠く離れているわけでもない。慢性化したお母さんとの喧嘩にいつスイッチが入るかはわからないし、かりに寿命を全うするにしても一生かけて苦しめ続けた事実は変わらない。で、お母さんが死んでしまったら、きみはホームレスになるしかないと思っている。でもね、きみより野宿者の方がはるかに働き者だし、何より、長期にわたって他人との交流を絶ってきたきみはもう、他人とまともな人間関係を築けない。ホームレス社会に溶け込めないんだ。そして、ある寒い冬の日の朝、きみがここで罵倒していた野宿者支援団体の青年が、段ボールのなかで冷たくなったきみの亡骸を見つけるんだよ。とはいえ、きみはすでに野宿者の仲間たちからは嫌われているからね、カップ酒の一つも供えられやしない。むしろ、理屈っぽい頑固者がいなくなったって、みんなにせいせいされるんだ。うまくいけばそれで終わってくれる。きみが生きていた事実なんて、世間にとっては昨日の天気みたいに誰の記憶にも残らない。だけど、そう無事に済むかどうか。まず医者がきみの死体を引き取りたがらないだろうな。家族がいない死体なんて面倒だらけだからね。それから、きみは無縁仏として市の規定に従って簡易式の葬式を挙げられ、指定の火葬場で焼かれて、お寺に納骨されることになるんだけど、そこで使われるのが税金なんだ。きみが憎んで止まない無駄金だよ。そういう細かいところをチクチクつつく人間は何十年後にもやっぱりいてね。きみは彼らに「ゴミはゴミ焼却場で処理するのが妥当」とか死んだ後も罵倒され続けるのさ。きみにとっては本望かもしれないね。だけどね、幸か不幸か、きみがそんな絵に描いたような最期を迎えることはないんだ。現実的な話をしようか。相続税の基礎控除は8000万円で、きみが両親から相続する財産総額はどう見積もってもそれ以下だから──全体の96%のケースは相続税を課税されないらしいよ──とりあえず土地と家だけは何とか確保できるのさ。あとは月に4日くらい派遣労働で働いて、最低限の食費と生活費だけは稼いで、それ以外の時間は今と同じようにネットやゲームをやって過ごすんだ。大げさに騒ぎまくったわりには、ちゃっかり自分が既得権の側に回って、でも、そういう事実には頬かむりして、きみが憎んで止まなかった偽善者たちの仲間入りをするのさ。それでwinny とかshare で落としたゲームなんかを、飽きることなくいつまでもいつまでも、まるで永遠の子供のようにやりまくるのさ。その頃にはきみの心臓も涙で干からびていて、彼女のことなんて思い出さなくて済むだろう。まあ、せいぜい財産放棄されないように、お母さんに親孝行することだね。でもね、話を混ぜ返すようだけど、本当にそれでいいの? わたしはきみがまだ間に合うと思うんだ。間に合うと信じているんだ。人生は楽しいことばかりじゃない。ううん。思い通りにいかないことの方が多い。でもきみの優しさと悲しさにはまだ先があると心の底から信じているんだよ。そのためには他人に自己批評を迫るのではなくて、きみのそばにいる、すぐそばにいるその人とまず、きみは向き合うべきじゃないのかな? かつて彼女と向き合ったときと同じように、いや、それ以上の本気の本気の本気でね。でも、きみはどうしても気づけないんだよね、人の自己批評の欠如を批判するきみ自身が、自分に対してひどく盲目なことに。今のきみに必要なのは、国家だとか社会だとか自己だとかの理論的分析ではなくて、それら全部を放棄して、その人と素手で向き合うことなのに。その人と向き合うために、それら全部を手放すことなのに。そのとき、きみは、その人と再会するだろう。でも、自己をその人に捧げた瞬間、きみの精神は崩壊してしまうんだろうか。すごく悲しいよ。〉

 背筋に凍るような冷たさが走った。ぼくは反射的に定型レスを返した。

〈低能乙。意味不明。日本語でおk? っつうかさ、どんな風に育てられるとお前みたいなキチガイになっちゃうわけ?www 親の顔が見てーよwww〉

 でも嫌な感じは去らなかった。たとえば、たとえば、もし……今叩いている「敵」が左翼でも、正社員でも、恵まれた不登校のガキでもなくて、まさにこのぼく、30代にもなって家にひきこもってネットばかりやってるような人間だったとしたら? いや、それより、ネットの向こう側にいるのが、母さんだとしたら? もちろん物理的にはそんなことありえない。母さんは下で夕飯を作っていたはずだ。それは確かだ。いや、そもそも物理的云々という話をするなら……まさか、そんなこと……。でも、この奇妙な妄想は、ぼくの心臓を捩じり上げた。強い吐き気が込み上げてきた。

──ほら! 早く来ないと冷めちゃうわよ?
(うるさいな、うるさいな)
──もう! いい加減にしなさい! せっかく作ったのに!
(うるさい、うるさい、うるさい、うるさい──)
──ねぇ、お母さん今日ね……、ちょっと疲れちゃったから……。
「うるせえっつッてんだろ! クソババァッ! 殺すぞッ! そもそもおまえらのせいなんだからなッ! 豚のクソから湧いたウジ虫のおまえがさ、うっかり自分を人間様か何かと勘違いしてさ、そんでおんなじように勘違いしたもう一匹のウジ虫とさ、愛だの恋だの幸せだのゴミみたいな理由づけしてさ、結局、ズコバコやりたかっただけなんだろ? 醜いウジ虫の分際でさ、ちょっと自分って人間みたい、なんてさ、つい勘違いしちゃったんだろ? そんな軽はずみのズコバコが俺にどんだけ迷惑かけたかわかってんのか? 脳みそゼロのウジ虫のくせにずいぶん調子こいたもんだよな、な? セックスだけはイッチョマエにやるんだからな、おい、責任も取れねえくせにちゃっかり人間様っぽいことしてんじゃねえぞ! たまたま自分がちょっと気持ち良くて、「あたしって幸せ」とか「人生って素晴らしい」とかっていい気になって、そんな脳内花畑な一時の妄想のせいでよ、一生苦しまなきゃならない存在を産みやがって、このクソ犯罪者どもが! おい、これだけは覚えとけよ、おまえらは強盗よりも、強姦魔よりも、大量殺人鬼よりも最悪なんだぜ! だってよ、まったく無力で無抵抗な存在に、一生にわたって苦しみを与えるっつう最低最悪の暴力を振るったんだからな、しかも、それがいいことだと思ってんだからタチが悪いったらねえぜ、まったく、頼んでもねえのに勝手に産みやがって、おまえらのシケたクソ壺生活に巻き込むなっつーの、あーあ、どうせ生まれるならさ、一生暮らせるだけのカネがあってさ、世界平和だの人類愛だのって高邁な理想に心の底から涙をボロボロ流しながら肉を食いまくって、酒を飲みまくって、女を抱きまくれるような環境に生まれてきたかったよ、俺は、サヨクみたいに、自分のやってることと言ってることの矛盾に平気で目を伏せて「私は正しい!」って自信満々に言えるヤツになりたかったよ、誇らしげに「日本の侵略性を認めよ!」とかって謝罪してみたかったよ、大学どころか院まで行ったくせに「私たち弱者は生きにくい」とかほざいてみたかったよ、二匹のウジ虫からひり出されたクソ以下の人生なんて嫌だったよ、おまえみたいな相棒に死なれたウジ虫の抜け殻に毒づくようなことしたくなかったよ、ホントは、でもさ、何しろこの精液ボックスの淀んだ空気ときたら臭くて臭くて息が詰まって死にたくなるのさ、あはははは! おい、妙な期待してんじゃねえぞ! おまえがどんなに望んだって、絶対に俺は死んでやらねえからな! 俺はな、おまえらみたいな自分を人間だと勘違いしてるウジ虫どもに、クソ以下の立場から永久に抗議し続けてやるのさ! それとも殺るか? 殺ってみるか? 一方的に産んで一方的に殺してみるかよ? 出来るよ! おまえなら出来る! なにせ失う物のない最低最悪の自己中ウジ虫だもんな!──おい、聞いてんのか? 聞いてんだろ? ん? 何泣いてんだよ……ウジ虫のくせに泣くなよ……人間みたいなフリしてんじゃねえよ……」

  なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
   死んでしまわなかったのか。
   せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
   なぜ、膝があって私を抱き
   乳房があって乳を飲ませたのか。
   それさえなければ、今は黙して伏し
   憩いを得て眠りについていたであろうに。(旧約聖書「ヨブ記」)

 ──疲れたな。すごく疲れた。本当の本当に疲れちゃったよ。こんなことがいつまで繰り返されるんだろう。もう何も書きたくない。何も考えたくない。それでも明日になればやっぱり、ぼくは今日と同じことをするだろう。だっていつものことだから。昨日と今日どころか十年前と今日の区別もつかないのに、数分前の自分と今の自分が同じ人間だとも思えない。母さんの泣き叫ぶ声が聞こえる。怖い。怖くて下に行けない。こんなにつらくて悲しい気持ちになっていても、数分後には「敵」の書き込みが気になって、スレをチェックして、再び論争を始めてしまうのかもしれない。何でだろう。何でぼくは書くことを止められないんだろう。書けば書くほど、読めば読むほど、自分が自分じゃなくなっていく気がずっとしているのに。この罵倒だって本心じゃないんだよ。いかにも文章臭くて嘘っぽいだろう。今すぐ下に降りて母さんに謝りたい。一刻も早く言葉を取り消したい。でも、顔を合わせたらもっとひどいことを言ってしまう気がする。それに、明日になればきっと、母さんの方から声をかけてくれると思う。だけど、この取り乱された気持ちはどうしたらいいんだろう。2ちゃんの「謝罪スレ」で謝ってこようかな。少しは気が晴れるかもしれない。しかし──。すべてを忘れたくなって、「99bb」で一番ブスな女のサンプル動画を落として、射精できるか試してみた。時間はかかったが、しっかり射精した。こんなブスにも存在価値があるのかと思うと死にたくなった。ぼくはベッドに寝転んで、小学校時代に好きだった女の子のことを思い出し、中学校時代に好きだった女の子のことを思い出し、高校時代に好きだった女の子のことを思い出し、それから、自分が最後に好きになった女の子のことを思い出そうとしたけど、それが誰だったかはわからなかった。